札幌東聖書バプテスト教会

主がくださる望みC永遠のいのちの望み                                  聖書:テトス1:1−2、3:1−7

1:1 神のしもべ、また、イエス・キリストの使徒パウロ―私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです。
2 それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。
3:1 あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。
2 また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。
3 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。
4 しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現れたとき、
5 神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。
6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。
7 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。

メッセージ
神がくださる望みは、この世でくださる望みと、来るべき世でくださる望みとがあります。神を信じている人は、この世に生かされている間、神がともにいてくださり、恵み、守り、祝福してくださり、支え、助け、慰め、励ましてくださり、どんな時もこの神に望みを置くことができます。それと同時に、神を信じている人は、来るべき世に、迎え入れられる天に望みを置くことができるのです。それは、いわゆる終末の日のことであり、この世が終わる時、その日、その時に、神を信じている私たちが永遠のいのちをもって天に迎え入れられるという究極的な望みなのです。

1.永遠のいのちの望み
聖書には「永遠のいのちの望み」ということばが2回、テトスの手紙に書かれています。「永遠のいのち」に望みがあるわけですが、この「永遠のいのち」は、ただ単に永遠にいつまでも生きるという意味での不死のいのちではなく、主を信じる人がこの世で生きている時にも、すでに神から与えられた新たないのちであり、聖霊によって吹き込まれた神のいのちなのです。主を信じている人は、主を信じた瞬間から、もはや、それまで生きて来た肉のいのちによってではなく、神からいただいた新たな霊のいのち、すなわち永遠のいのちによって新しい人となって生かされているということなのです。この永遠のいのちは、主イエス・キリストを信じる人にはだれにでも与えられるものです。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

この永遠のいのちとは、主を信じる人がまことの神である主イエス・キリストを知ることであるとも聖書は伝えています。
ヨハネ17:3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです
ここで言うところの「知る」とは、ただイエス・キリストを知識として知っているということではなく、たとえば、ヨブがあらしの
い中で悔い改めて主を知ったように(ヨブ42:1−5)、体験的に主と出会うことであり、またたとえば、トマスが復活の
主にお会いした時のように(ヨハネ20:27−28)、主イエス様を「わが神、わが主」としてお受入れすることです。
この永遠のいのちを得た人は、古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着て生きている人であるとも聖書は伝えています。

エペ4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
コロ3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。

しかし、永遠のいのちとは、この世に限った新しいいのちにとどまらず、その延長として、来るべき将来に、いわゆる天国に迎え入れられるためになくてはならないいのちであると言うこともできます。つまり、永遠のいのちを持っている人だけが、永遠の滅びに入れられることなく、永遠の神の御国である天国に入ることができるということなのです。

ヨハネ5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。

私たちに神から与えられている望みはこの永遠のいのちです。それはこの世で永遠のいのちをもって生きていく中でいただくことのできる数々の望みだけでなく、私たちがこの世を去ったのちにも、永遠のいのちをもって天に迎え入れられ、天国でいただくように備えられている望みでもあるのです。

2.天国の望み
主を信じて永遠のいのちをいただいた人はみな天国に迎え入れられます。永遠のいのちをいただいた人、すなわち救われた人は神の前に義と認められており、天国に入ることができる唯一の資格が与えられているのです。

ローマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。・・・5:9ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

永遠のいのちが与えられた人は、天にあるいのちの書にその名が記されており、すでに天に国籍を持つ者とされています。

黙示録20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。・・・21::27 しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。
ピリピ3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

天に国籍を持つ私たちのために、主は天に私たちの居場所(トポス)、住まいも用意してくださっており、時が満ちて、その日、その時が来た時に、主は私たちを迎えに来てくださるのです。

ヨハネ14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

私たちの究極的な望みは、この天国にあります。そして天国は言うまでもなく実にすばらしい所なのです。

黙示録22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。3 もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、4 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

3.天国を待ち望む
私たちには望みが与えられています。この世に生かされている間も、この世を去って後もです。テトス書3:1−3に書かれているような良いわざを進んですることができるのは、天に望みを置いている故だということもできます。
もし、この世だけで終わるいのちであるなら、この世で自己実現をしたいという強い欲求に打ち負かされるかもしれません。しかし、私たちのいのちはこの世だけで終わるものではなく、後の世も続くいのちであり、主を信じて永遠のいのちを与えられた私たちは天国で永遠にしあわせに過ごすことができるという望みがあるからこそ、たとえ弱い私たちであっても、この世で、神に喜ばれる良いわざを進んですることができるのではないでしょうか。

ローマ8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

天国を待ち望んでいる私たちは天に望みを置いていますから、この世でも希望を持って、主のために生きることができます。使徒パウロもそのような生き方をしていました。

ピリピ1:20 それは、私がどういう場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現されることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。

主は間もなくおいでになります。義とされた人、永遠のいのちを持っている人を天に迎え入れるためです。

1テサ4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

神がくださる望み、それは究極的には天国なのです。この天国を待ち望みつつ、この世を生きて行きましょう。

2ペテ3:13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
黙示録21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。