札幌東聖書バプテスト教会

幸いな人生C見えないものを見る人生              聖書:U列王6:1−18


:8  アラムの王がイスラエルと戦っているとき、王は家来たちと相談して言った。「これこれの所に陣を敷こう。」
:9  そのとき、神の人はイスラエルの王のもとに人をやって言った。「あの場所を通らないように注意しなさい。あそこにはアラムが下って来ますから。」
:10  そこで、イスラエルの王は神の人が告げたその場所に人をやった。彼が王に警告すると、王はそこを警戒した。このようなことは一度や二度ではなかった。
:11  このことで、アラムの王の心は怒りに燃え、家来たちを呼んで言った。「われわれのうち、だれが、イスラエルの王と通じているのか、あなたがたは私に告げないのか。」
:12  すると家来のひとりが言った。「いいえ、王さま。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げているのです。」
:13  王は言った。「行って、彼がどこにいるかを突き止めなさい。人をやって、彼をつかまえよう。」そのうちに、「今、彼はドタンにいる。」という知らせが王にもたらされた。
:14  そこで王は馬と戦車と大軍とをそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。
:15  神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。
:16  すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。
:17  そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。
:18  アラムがエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。「どうぞ、この民を打って、盲目にしてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って、盲目にされた。
:19  エリシャは彼らに言った。「こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの捜している人のところへ連れて行ってやろう。」こうして、彼らをサマリヤへ連れて行った。
:20  彼らがサマリヤに着くと、エリシャは言った。「主よ。この者たちの目を開いて、見えるようにしてください。」主が彼らの目を開かれたので、彼らが見ると、なんと、彼らはサマリヤの真中に来ていた。
:21  イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った。「私が打ちましょうか。私が打ちましょうか。わが父よ。」
:22  エリシャは言った。「打ってはなりません。あなたは自分の剣と弓でとりこにした者を打ち殺しますか。彼らにパンと水をあてがい、飲み食いさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」
:23  そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして、彼らに飲み食いをさせて後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それからはアラムの略奪隊は、二度とイスラエルの地に侵入して来なかった。

メッセージ 
人生とは人生の見方によって幸いであると思えるかどうかが違って来るものです。同じ人生でもいわゆるポジティブに捉えるか、あるいはネガティブに捉えるかによってまったく見え方が違って来るということです。しかし、どう思えるか、どう見えるかではなく、(それも大切なことかもしれませんが)、事実、その人生が幸いな人生であるかどうかということは、その人が何を見ているかということにかかっているのです。目に見えるものしか見えていない人の人生と目に見えないものを見ている人の人生には大きな違いがあります。後者には神が備えてくださっている目に見えない恵みの数々が満ちているからです。

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」1コリ 2:9

1.目に見えない神の御手を見る
エリシャたちがアラムの軍隊に包囲された時、エリシャとともにいた若い者は敵の大軍を見て落胆失望しました。しかしエリシャの祈りによって主がその者の目を開かれると、なんとおびただしい数の天の軍勢がエリシャたちを取り巻いて山に満ちていたというのです。そして主はアラムの略奪隊の目を見えなくされ、イスラエルは奇跡的かつ圧倒的な勝利を収めたのです。神は目に見えない万軍を率いておられる万軍の主です。そしてその万軍の主は神の民である私たちの強い味方であって、私たちを守り、奇跡的かつ圧倒的な勝利を与えるために力強い右の手を動かしてくださるのです。

では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。・・・:37  しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。ローマ 8:31  

私たちの人生には失敗もあれば上手くいかないことも多々あります。しかし神を愛する者のために神がその御手を動かしてくださる時、万事が益となるという神の約束を私たちはいただいているのです。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ 8:28

人生に目に見えない神の御手を見ている人の人生は幸いな人生です。どんな時も心強く、希望があります。

だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。イザヤ 43:1-2

2.目に見えない天の都を見る
神が神を愛する者のために神が備えてくださったものに天の御国があります。天国は目に見えませんが、確かにあると信じることができるのは信仰によってです。その信仰とは聖霊なる神のわざであり、神のみことばをそのとおり素直に信じさせるものであり、まだだれも見ていない事実を確信させてくれるものなのです。

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。ヘブル 11:1  
【口語訳】さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。ヨハネ 14:1 -3

アブラハムの人生は波乱万丈の人生でしたが、彼は神が用意してくださっている天の都を夢見て、それを待ち望みながら生きていたのです。彼にとって天国はどこか遠くの知らない国ではなく、どこか懐かしい故郷でした。

しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。ヘブル 11:16

私たちも信仰によって神の子どもとなり、この世の生活を終えた後は「我が家」と言うべき天の故郷に帰ることができるのです。そこにはもはや苦しみも悲しみも涙もなく、むしろ信仰を捨てずに守り通した報いとしての冠が用意されているのです。今の世がどうであれ、信仰によって天国を夢見ている人の人生は幸いな人生です。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。:8  今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。2テモ 4:7
私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ヘブル 13:14

3.目に見えない勝利の行列を見る
エリシャたちが目に見えない神の軍隊に囲まれていたように、私たちも神の御使いたちに守られています。

わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。:12  彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。詩篇91:10 -11

私たちは決して一人ではなく、主とともに歩んだかつての多くの聖徒たちとともに天に凱旋する勝利の行列に加えられているのです。信仰の目を持ち、見えないものを見ながらこの世の旅路を歩み通す者は幸いです。

 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。ヘブル 12:1