主がくださる望みB木には望みがある 聖書:ヨブ記14:7−9
7 木には望みがある。たとい切れらても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。
8 たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、
9 水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。
メッセージ
「木には望みがある。」とヨブは言いました。この時のヨブは望みがまったく断たれた状況にいました。14章の少し前の12章4節に「私は、神を呼び、神が答えてくださった者であるのに、私は自分の友の物笑いとなっている。潔白で正しい者が物笑いとなっている。」というヨブのことばがあるように、ヨブは思い当たる罪が何一つないにもかかわらず、すべての財産、家族、そして健康なからだを一瞬にして失い、ちりと灰と自らの肉体の腫物から出て来る膿の中にうずくまってみじめな姿をさらし、彼を慰めようとしてやって来た3人の友人たちとのやりとりもかみ合わず、その絶望的悩みと苦しみはますます深まっていきました。しかし彼はそのような状況で「木には望みがある。」と言うことができたのです。ヨブはこの絶望の中で、その望みがある「木」のようでありたいという願いを抱いていたに違いありません。
たとえ根が老いても、枯れても、もしその木が水分に出会うならば芽を吹き返すこともあるように、人は、たとえ望みが全くついえた状況になったとしても、もしいのちの泉である主に出会うなら、まだそこに望みがあるということです。
1.望みを持っていたヨブ
ヨブ記42章のうち最初の1章には、いかにヨブが恵まれた生活を送っていたか、またその理由が書かれています。
ヨブ1:1 ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。2 彼には七人の息子と三人の娘が生まれた。3 彼は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っていた。それでこの人は東の人々の中で一番の富豪であった。4 彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の日に、その家で祝宴を開き、人をやって彼らの三人の姉妹も招き、彼らといっしょに飲み食いするのを常としていた。5 こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない。」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。
ヨブは本当に神に祝福されていました。その理由として、彼が神の前に潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかってい
たことを挙げることができます。彼のそのような正しさは、見せかけや一時的なものではなく本物でした。彼は彼の子ど
もたちのためにもとりなしをし、いつもそのようにするほど正しく聖い人でした。
主を恐れること、罪を犯さないように気を付けること、そのようにして自分を聖く保つことが主の祝福に与る秘訣です。
ヨブ28:28 こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」
箴言22:4 謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。
主を恐れることが何よりも大切なことです。そうするときに主は豊かに祝福してくださるということです。そしてまた、私
たちが聖くなることが神のみこころであり、私たちが主のみこころにかなう時、当然ながらにしてそこに祝福があります。
1テサ4:3 神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、:4 各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、・・・:7 神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためです。
ヨブは、そのように聖く、正しく、主のみこころにかなった人だったので、主が彼を祝福せずにはおられなかったので
す。そのころのヨブは喜びと感謝にあふれ、主にある希望に満ちていたことでしょう。
しかし、そのようなヨブに青天の霹靂のようにして災いが降りかかりました。一瞬にして、そのすべての祝福の実をはぎ
とられてしまったのです。
ヨブ1:13 ある日、彼の息子、娘たちが、一番上の兄の家で食事をしたり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、14使いがヨブのところに来て言った。「牛が耕し、そのそばで、ろばが草を食べていましたが、15 シェバ人が襲いかかり、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」16 この者がまだ話している間に、他のひとりが来て言った。「神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」17 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」18 この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「あなたのご子息や娘さんたちは一番上のお兄さんの家で、食事をしたりぶどう酒を飲んだりしておられました。19 そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。」
このようにして次から次へと災難が起きて、あっという間に妻だけを残して、ヨブはすべてを失ったのです。
2.望みを失ったヨブ
ヨブの正しさは本物でした。彼はそれでも主の前に愚痴一つこぼさず、むしろ主を賛美したのです。
ヨブ1:20 このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」22 ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。
このようなヨブの心のうちを知っておられたからこそ、神はヨブを祝福されたのです。
ヨブ1:8 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」
しかし、サタンの妬みと謀略により、主のお許しの下、ヨブの信仰が試される耐え難い試練が下されたのです。
その試練は終わりが見えない試練でした。そして、ついにヨブの肉体にもサタンの手が伸び、唯一残された親愛なる妻にも見放され、彼を慰めようと見舞いにやって来た友人たちにも厳しいことばを浴びせられたのです。
ヨブ2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫瘍で彼を打った。8 ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。9 すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」10 しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。11 そのうちに、ヨブの三人の友は、ヨブに降りかかったこのすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分の所からたずねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォハルである。彼らはヨブに悔やみを言って慰めようと互いに打ち合わせて来た。
ヨブ記は3章から、38章で主があらしの中からヨブに答えてくださる時まで、ヨブと友人たちの激論が延々と続きます。その中で、これまでヨブが抱いていた希望が明らかに揺り動かされていったのです。
ヨブ19:10 神が四方から私を打ち倒すので、私は去って行く。神は私の望みを木のように根こそぎにする。
私たちであればどうでしょうか?それでも、自分一人になっても、信仰に立って、望みを失わないでいることができるでしょうか?まことの信者は試練の中で信仰を守り通してこそ、まことの信者であることがわかります。
1ペテ1:7 信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
ヘブル12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。
マタイ24:13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
ヨブはほとんど希望を失いかけていました。しかしそれでもヨブは、根こそぎにされた木にも望みがあることを信じようとし、そうして、私を贖う方、主が、必ず救い出してくださるということを信じて疑わなかったのです。
ヨブ19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。
信仰者がどんな時も望みを失わないでいることができれば幸いです。しかし、もっと幸いなのは、もはや望みを抱く力もなくなった時に、ひたすら神のあわれみにすがって、もう一度、主に望みを置く者とさせていただくことです。
3.新たな望みを頂いたヨブ
ヨブの自問自答も、友との議論も、残念ながらヨブの苦しみの解決には至りませんでした。けれどもその過程こそが、神に全面降伏して神ご自身をお受入れする準備になっていたのかもしれません。主があらしの中からヨブに語られた時、ヨブの心は準備ができており、改めてまことの神である主を信じて受け入れることができたのです。
ヨブ38:1 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
ヨブ42:1 ヨブは主に答えて言った。2 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。3 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。4 どうか聞いてください。わたしが申し上げます。わたしはあなたにお尋ねします。わたしにお示しください。5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。
ヨブはもともと正しい人であり、神に望みを置く人でした。けれども主が許された大きな試練を通して、新たな望みを主に置くことができました。それは火によって精錬されたような揺るぎない望みです。私たちもヨブのように、主から新たな望みを頂きましょう。繰り返し訪れる試練を通して、何度も何度も新たな望みを主から頂きましょう。
ヨブ17:15 私の望みはいったいどこにあるのか。だれが、私の望みを見つけよう。
改めて主と出会ったヨブはいやされ、すべて失ったものの2倍が与えられ、長寿を全うしました。(ヨブ42:10)
主の御名はほむべきかな。