主がくださる望みAナオミに与えられた望み 聖書:ルツ記1:1−14
1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、
3 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。
4 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
5 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
6 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
7 それで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。
8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜り、
9 あなたがたが、それぞれの夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。」と言った。そしてふたりに口づけをしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」
11 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。
12 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、
13 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」
14 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
メッセージ
ナオミは、ききんのため、ユダのベツレヘムからモアブの地へ家族で疎開しました。しかしそこで、夫が死に、その後、二人の息子も死に、モアブ人の二人の嫁を残して、失意の中、一人でベツレヘムに帰ることにしました。けれども長男の嫁ルツは、ナオミとともに、夫の故郷であるベツレヘムに帰りたいと強く願い、結局二人で帰ることになりました。こうして、まったく望みを失ってしまったナオミに、主はルツをとおしてすばらしい希望を与えてくださったのです。
1.ルツに信仰が与えられたことがナオミの希望となりました。
二人の義理の娘たちの内、ルツはナオミと一緒に行きたいと強く懇願しました。なぜならばルツにまことの神を信じる信仰が与えられたからです。
ルツ1:16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
もしルツに信仰が与えられなかったら、弟嫁のオルパと同様に、ナオミの言うことを聞いてモアブにとどまっていたことでしょう。しかしもはや、まことの神を信じたルツは神の民となり、ナオミが信じる神がルツの神となったのです。そしてそこからナオミとルツの新たな祝福の道が開かれていきました。
主は、私たちがまことの神を信じることによって、私たちにも新しい生ける道を開いてくださいます。
ヘブル10:20 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
イザヤ43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
ナオミとルツの行く末は、人間的に見えるところはまったく暗く、何の希望もないようなものでした。しかし、ルツに信仰が与えられたことによって、希望の光が差したのです。
ヨハネ12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
2.ルツがボアズと出会ったことがナオミの希望となりました。
ベツレヘムに帰ったルツはナオミとの生活のために畑に落ち穂を拾いに行きました。貧しい人が裕福な人の畑で落ち穂を拾わせてもらうことはユダヤの律法にかなっていることだったのです。
レビ23:22 あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
これは、本当にうるわしい神の律法です。1857年 に フランス の 画家 ジャン=フランソワ・ミレー によって描かれた『落穂拾い』(おちぼひろい)は、このレビ記を基にして描かれたと言われています。彼もまた主のあわれみ深いことに感動した一人なのかもしれません。
申命記4:31 あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。
イザヤ14:1 まことに、主はヤコブをあわれみ、再びイスラエルを選び、彼らを自分たちの土地にいこわせる。在留異国人も彼らに連なり、ヤコブの家に加わる。
しかし、このようなすばらしい律法をいただいたイスラエルでありながら、彼らはそのあわれみの心を閉ざしてしまっていました。畑の落ち穂を拾いに来た外国人のルツに意地悪をするような人たちも、残念ながらいたようです。
ルツ2:22 ナオミは嫁のルツに言った。「娘よ。あの方のところの若い女たちといっしょに出かけるのは、けっこうなことです。ほかの畑でいじめられなくても済みます。」
けれどもルツが行った畑は、はからずも、ナオミの家を買い戻す(再興する)権利のある親戚の、ボアズという人の畑だったのです。この「はからずも」ということばは、「たまたま」ということですが、主にあって「たまたま」ではなく、主が取り計らってくださったということなのです。
ルツ2:3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
ルツが義母のナオミに誠実に仕えていること、モアブ人でありながらまことの神に身を寄せてきたこと、そして畑で休まずにしっかり働いていることなどは村の人たちの評判になりました。(神はすべての事を見ておられます。)そしてそれを知っていたボアはがルツに大変良くしてやりました。彼はわざと麦の穂を落としてやり、ルツがたくさん集めることができるように計らったのです。そして、家に帰って来たルツから話を聞いたナオミは、主がルツとボアズを合わせようとしておられることに気が付きました。
ルツ3:18 しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」
すべてを失って、失意とともに故郷に戻って来た時、ナオミは自分のことをもはやナオミ(「快い」という意味)と呼ばないで、マラ(「苦しむ」という意味)と呼んでくださいと言いました。けれども今や、彼女はルツがボアズと出会ったことによって希望が与えられたのです。
ルツ1:20 ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。:21 私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」
3.ルツとボアズを通して、ナオミが想像すらできなかったすばらしい希望が与えられました。
ナオミはルツとボアズが結婚して、夫のエリメレクのすべてのものが買い戻され、さらに孫も与えられて幸せになりました。
ルツ4:14 女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。
それだけでもナオミに対する主のあわれみと恵みは十分でした。しかし、何と、このボアズの家系から、やがて世の救い主イエス・キリストがお生まれになったのです。
ルツ4:17 近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた。」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。
マタイ1:5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、・・・・16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。
ここにナオミが見ることのなかったすばらしい希望があったのです。私たちが今、見ることのできる希望は、神のご計画のうちに備えられているすばらしい希望の中の、ほんのわずかなのです。