札幌東聖書バプテスト教会

今、信じられるもの@聖書は信じられる                聖書:イザヤ40:1−8

:1  「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。
:2  「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は
   償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
:3  荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大
   路を平らにせよ。
:4  すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、
  険しい地は平野となる。
:5  このようにして、主の栄光が現わされると、すべての者が共にこれを見る。主の口が
  語られたからだ。」
:6  「呼ばわれ。」と言う者の声がする。私は、「何と呼ばわりましょう。」と答えた。「すべて
  の人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
:7  主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。
:8  草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

メッセージ 
1947年からに死海のクムラン洞窟で羊皮紙などに書かれた古文書が発見され、20世紀
最大の考古学的大発見と言われました。それらは紀元前3世紀から紀元1世紀にかけて書かれたようですが、その中にイザヤ書の写本が含まれていました。イザヤ書は紀元前8世紀に活動した預言者イザヤによって書かれたとされていますが、この死海写本の発見により改めて聖書の真正性と信頼性が高まったのです。
イザヤ書40章には「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」とあります。当時、神の民イスラエルはずっと苦難の中にありましたが、彼らに対する主の慰めと希望のメッセージが預言者イザヤによって語られたのです。私たちは苦難の中にある時に何を信じたらよいのでしょうか。この世に本当に信じられるもの、信頼できるものが果たしてあるでしょうか。けれども、私たちも、やがて枯れてしぼんでしまう草花のようなはかない人間やそのような人間のむなしいことばではなく、永遠に立ち続ける神とその神のことばを信頼して信じるなら、そこにこそ慰めも希望もあるのです。そしてその神のことばこそが聖書なのです。

1.聖書は神のことばなので信じてもよいのです。
イザヤ書は66章ありますが、大きくは1-39章と40-66章に分けられ、40章からはバビロン捕囚からの解放、イスラエルの回復、新天新地などの希望のメッセージが語られています。特に53章には不思議なことにキリストの生涯が預言されており、それゆえイザヤ書は「第五福音書」とも呼ばれていますが、イエス・キリストによる十字架のあがないと救いについて預言的に記されています。イエス・キリストがお生まれになる前に十字架についてこのように詳細に記すことはおよそ人間には不可能なことですが、神には造作ないことです。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。・・・ 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。・・・多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。イザヤ 53:5ー11

イザヤ書に限らず聖書のことばはすべて神の人が神からのことばを語った神のことばなのです。

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。2ペテ 1:21

それゆえ、聖書のことばは人間のことばとは違ってすべて正しく、少しも誤りがありません。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。2テモ 3:16

みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。詩篇 119:160

主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。詩篇 19:7

聖書のことばが神のことばであることを人間的に証明することはできません。ただ、聖書自身がそれを主張しているとか、聖書66巻が一人の著者によって書かれたような調和性と統一性があるとか、聖書に書かれている内容の知恵の豊かさや霊的示唆や道徳的高潔さ、あるいは世と世の人に与えた影響力等々、挙げることはできても、それで聖書を神のことばと信じない人に対する証明にはならないでしょう。しかし、聖書が神のことばであることはキリストを信じて救われた人には、その賜っている聖霊によって明らかに理解できるのです。

しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。・・・:27  わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。ヨハネ 10:26

「今、信じられるもの」それは「聖書」です。なぜならば聖書のみことばは、はかなく汚れた人間のむなしいことばではなく、永遠にして真実、聖にして愛に満ちた唯一のまことの神の、生きている力あることばだからです。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。ヨハネ 6:63  

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。ヘブル 4:12

2.聖書は信頼できるので信じてもよいのです。
イザヤが語ったとおりに「荒野に呼ばわる者」が現れました。バプテスマのヨハネです。彼は後に来る救い主イエスの道備えをした人で、イザヤが語った慰めと希望はまことの光であるイエスの到来によって実現しました。

この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。マタイ 3:3

神から遣わされたヨハネという人が現われた。 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。・・・: すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。ヨハネ 1:6-9

このように、主によって語られたことはみな成就します。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」ルカ 1:45
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。イザヤ 55:11

どんなにすばらしい約束のことばがあっても、それに偽りがあったり、実現しなかったら意味がありません。そのようなことばは信頼できず、信じるに値しないでしょう。そしてこの世にあることばはみな多かれ少なかれそのようなものです。なぜならばそれらは人間のことばに過ぎず、まったく不完全なものだからです。しかし、神のことばである聖書のことばは少しの偽りも混じっていない、試験済み保証書付きの完全に信頼できることばなのです。

主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。詩篇12:6

事実、聖書に書かれていることはことごとく成就しています。先のキリストの十字架のあがないだけでなく、三日目のキリストの復活(1コリ15:4)も聖書のとおりになりました。さらに昨今の世界情勢を見ると驚くほど聖書のとおりになって来ているように思えます。(クレジットカードやインターネットもしかり)

わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。・・・:また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。マタイ 24:5-12


また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。黙示録 13:17

そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。マタイ 24:30
大切なことは聖書に書かれていることはすべてまことであること、たとえ信じ難くても、信じたくなくても、創世記から黙示録まですべて信じるに値するということです。当然、イエス・キリストによる救いも信ずべきことなのです。

この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」使徒 4:12

3.聖書は決して変わることがないので信じてもよいのです。
「私たちの神のことばは永遠に立つ」とあります。聖書は永遠に変わりません。歴史の中で聖書が抹殺されようとしたことはありますが抹殺されませんでした。かえって不思議なほど全世界に広まりました。また、世の基準は世につれて変わりましたが聖書の基準はずっと変わりません。もし時代とともに変わったり、なくなってしまうようなものをどうして信じられるでしょう。しかし、聖書は信じてもいいのです。なぜならば永遠に変わらないからです。

「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。1ペテ 1:24 -25