札幌東聖書バプテスト教会

神の平安A アブラハムに与えられた平安               聖書:創世記15:1−15、25:7−8






:1  これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
:2  そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
:3  さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。
:4  すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
:5  そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
:6  彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
:7  また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」
:8  彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」
:9  すると彼に仰せられた。「わたしのところに、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩とそのひなを持って来なさい。」
:10  彼はそれら全部を持って来て、それらを真二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにした。しかし、鳥は切り裂かなかった。
:11  猛禽がその死体の上に降りて来たので、アブラムはそれらを追い払った。
:12  日が沈みかかったころ、深い眠りがアブラムを襲った。そして見よ。ひどい暗黒の恐怖が彼を襲った。
:13  そこで、アブラムに仰せがあった。「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。
:14  しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。
:15  あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。・・・・
25:7  以上は、アブラハムの一生の年で、百七十五年であった。
:8  アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。

メッセージ 
平安という言葉は聖書の90の節に使われています。そのうち創世記に2回、アブラハムについて書かれているところに使われています。神はアブラハムに平安のうちに人生を終えることを約束され(創世記15:15)、
そのとおりアブラハムは平安のうちに人生を終えました。(創世記25:8)アブラハムの人生は波乱万丈で、多くの危機や試練がありましたが、その中にあって彼にはいつも神の平安があったに違いありません。

1.神の約束
アブラハムとサラには子がありませんでした。それでアブラハムは彼の奴隷の子が跡取りとなるのではないかと考えていました。しかし主はアブラハムに子を与え、その子が跡継ぎとなり、その子から星の数ほどの子孫が生まれることを約束されたのです。にわかには信じられなかったアブラハムでしたが、主は不思議な体験を通して、おびただしい数のアブラハムの子孫がやがて外国で苦難に会うけれどもそこから救い出されるという未来を見せてくださいました。アブラハムにいつも平安があったのは彼に神の約束が与えられていたからです。
アブラハムの人生最大の試練、それは愛するわが子イサクをささげねばならなかった時のことでしょう。

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。:神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」創世記22:1-2

しかしこの危機的状況の中でもアブラハムは神を信じ、神に従い、わが子イサクを神にささげました。当然ながら不安や恐れがあったことでしょう。しかしそれにもまさる神の平安が彼のうちにあったに違いありません。それは彼に神の約束が与えられており、彼がそれを堅く信じたからです。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク。」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。創世記 22:7-8

信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。ヘブル 11:17-19

2.神の約束の保証
何か約束が与えられていてもその約束に保証がなければ無意味です。アブラハムの人生にいつも平安があったのは神の約束が与えられていたことに加えて、その約束を下さった方が信じるに値する神であり、かつ彼が神とその約束のおことばを堅く信じたからです。こうして彼は信仰によって神の約束の保証を得たのです。

そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。・・・ 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。ローマ 4:16-21

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。ヘブル 11:1

3.信仰者に与えられる神の平安
アブラハムだけでなく妻のサラも約束してくださった神を真実な方であると信じて神の保証をいただきました。それゆえサラもきっと神の平安のうちに子を宿し、イサクを得たことでしょう。

信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。 そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海ベの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。ヘブル 11:11-12

今や私たちにも聖書によって神の約束のことばが与えられています。聖書のことばは神のことばであり、すべて真実です。だれでも聖書のことばを堅く信じるなら、そこに神の約束の保証があり、神の平安があります。

みことばのすべてはまことです。あなたの義のさばきはことごとく、とこしえに至ります。詩篇 119:160
このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。1テモ 4:9

平安の反対は不安です。何の約束もなく、約束があっても何の保証もないならやはり不安です。けれども確かな約束があり、尚且つその約束が信じられるものであり、尚且つその約束を疑わずに信じるなら、もはやそこに不安はなく、心は平安で満たされるでしょう。私たちは確かな神の約束をいただいているではありませんか。

@  御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネ 3:36
私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。エペソ 1:7
Aけれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。ピリピ 3:20
Bわたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。ヨハネ 14:27

このほかにも星の数ほどのすばらしい神の約束が聖書に書かれており、それらの約束を信仰によって神から受け取る時に、それら一つ一つの神の約束が、私たち信仰者の絶対的な平安の基となるのです。