札幌東聖書バプテスト教会

知らないのですか@ 心から出て来るものが人を汚します            聖書:マタイ15:1−21






:1  そのころ、パリサイ人や律法学者たちが、エルサレムからイエスのところに来て、言っ  た。
:2  「あなたの弟子たちは、なぜ昔の先祖たちの言い伝えを犯すのですか。パンを食べるときに手を洗っていないではありませんか。」
・・・
:10イエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。
:11  口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
:12  そのとき、弟子たちが、近寄って来て、イエスに言った。「パリサイ人が、みことばを聞いて、腹を立てたのをご存じですか。」
:13  しかし、イエスは答えて言われた。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。
:14  彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」
:15  そこで、ペテロは、イエスに答えて言った。「私たちに、そのたとえを説明してください。」
:16  イエスは言われた。「あなたがたも、まだわからないのですか。
:17  口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。
:18  しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。
:19  悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。
:20  これらは、人を汚すものです。しかし、洗わない手で食べることは人を汚しません。」

メッセージ 
イエス様は「(あなたがたは)知らないのですか」と非常に大切なことを私たちに提起されました。私たちは知っているようで知らないことがあるということです。私たちはもっと謙遜にならなければなりません。

人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。1コリ 8:2  

聖書には「・・・ことを知らないのですか。」という記述が8回あります。私たちが知っているつもりで知らないこと、わかっているつもりでわかっていないことは多くありますが、まず「口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。」(18節)とあるように、私たち人間の心の内にある罪とその忌まわしさがそれです。
マタイ15章は主の弟子たちが手を洗わないでパンを食べていることに対するパリサイ人たちの非難から始まっています。しかし、問題は口に入るものではなく、口から出て来るものであり、人の心の中にあるものなのだと主は教えられたのです。

1.口に入るもの
口に入るものとは直接的にはパンであり食べ物です。そしてまたそれは私たちが外から受け入れるすべてのものでもあります。たとえば目から入るもの、耳から入るものもそうです。また人の教えや考えもそうです。私たちは外から入るさまざまなものに影響されます。それが良いものであればよい影響を受け、悪いものであれば悪い影響を受けます。その意味で私たちが何を受け入れるかは重要なのです。

知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。箴言 13:20  
それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。・・・2コリ 6:17  


2.口から出て来るもの
確かに外から入って来るものには気をつけなければなりません。しかしそれよりも気をつけねばならないものは内から出て行くものであり、それが人を汚したり傷つけたりするということです。たとえば口から出て来ることばです。

同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲへナの火によって焼かれます。・・・しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。ヤコブ 3:5-8

何気なく私たちの口から出て来ることばに死の毒が宿ることさえあるということを私たちは知らないでいてはなりません。また、主の恵みと助けによって、人を教えたり、慰めたり、いやしたり、励ましたりすることばを私たちの口から出すことも出来るということも知らないでいてはなりません。

悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。エペソ 4:29  

3.人の心にあるもの
口から出て来ることばだけでなく、目から出て来ることばもあります。目は口ほどにものを言うのです。人を死に追いやるほどの刺すような視線もあれば、あわれみに満ちたやさしく包み込むようなまなざしもあるのです。

イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」マルコ 10:21  
イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)。」とイエスに言った。ヨハネ 20:16  

ことばやまなざしは私たちの心の中から出て来るのであり、それが良くも悪くも働くのです。ですから問題は私たちの心の中に何があるかということであり、それにこそ私たちは気をつけねばならないということです。

しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。 もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。マタイ 5:28-30
 
4.心をきよめてくださるイエス・キリスト
心の中にあるものが問題なのですが、さらに問題なのは私たちの心の中に何があるかを私たちは良く知らないということです。人々を指導する立場にあったパリサイ人や律法学者たちもそうでした。主は彼らのことを「盲人を手引きする盲人」(14節)と言われていますが、マタイ23章でも次のように言われました。

目の見えぬ手引きども。あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでいます。:忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。マタイ 23:24-28
 
さて、私たちの心の内側はどうでしょうか。もし私たちも私たちの心の中にあるものを知らなかったら目が見えない盲人です。しかし感謝なことに主イエス様は盲人の目を見えるようにしてくださることができるお方なのです。

わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」:イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。ヨハネ 9:5-7
 
世の光としてこの世に来てくださったイエス・キリストは私たちの心の中をご自身の光で照らし出してくださり、私たちの心の中に何があるかを教えてくださり、そしてもし汚れているものがあるならそれをきよめてもくださいます。もし私たちの心の中が汚れでいっぱいであれば、それが心から出て来て人を汚したり、つまずかせたりします。そしてその罪は非常に重いということを私たちは知らないでいてはならないのです。しかしその私たちの心を知っておられ、私たちにそこにあるものを教えてくださり、心をきよめてくださるお方があることも知らないでいてはなりません。そのお方はイエス・キリストです。キリストは私たちを救うために世に来てくださり、十字架で私たちの罪を身代わりに受けてくださいました。このお方を信じるならすべての罪は赦され、すべての汚れをきよめていただくことができるのです。だれも、このイエス・キリストが私たちの救い主であることを知らないでいてはなりません。

もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。1ヨハネ 1:9    

神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。詩篇139:23−24