札幌東聖書バプテスト教会

輝かしい生活C 喜びと感謝と祈りの生活                                      聖書:1テサ5:16−24


16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
19 御霊を消してはなりません。
20 預言をないがしろにしてはいけません。
21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
22 悪はどんな悪でも避けなさい。
23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責め
られるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

メッセージ
私たちは神によって造られた神の作品です。それゆえ神は罪と滅びの中に沈んでしまった私たちをあわれみ、神の御子イエス・キリストによる救いのご計画を立ててくださいました。そのキリストの救いをいただいた私たちに対して、神が望んでおられることがあります。それは、いつも喜んでいること、絶えず祈っていること、すべての事について感謝していることです。

1.いつも主にあって喜んでいなさい
神の御心を知り、それを宣べ伝えたパウロはピリピ人への手紙の中で次のように言っています。

ピリピ3:1 最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。・・・4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

特に問題がなく、平安が守られているようなとき、またあるいは嬉しいことがあったりしたときにはだれでも喜べます。し
かしパウロが言っているのは「いつも」「主にあって」喜びなさいということです。
パウロが「いつも」経験していたことは喜ばしいことと言うよりは、むしろ喜べないようなことばかりでした。

2コリ11:23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、27労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。

人は苦しいことや悲しいことや辛いことが続くとき、喜ぶことはできません。かえって嘆いたり、叫んだり、愚痴を言った
り、不平不満を鳴らしたりするものです。しかしこれらは救われているクリスチャンの姿とは言えません。これらは神が
私たちに望んでおられる姿ではないのです。神が救われた私たちに望んでおられることはどのような状況の中にあっ
ても「いつも」喜んでいることです。また「主にあって」と添えられていることも大切です。たとえ苦しみの中にあっても
「主にあって喜びなさい」と言われているわけです。そのことの意味の一つは、私たちが主のために苦しみに会うことは
主のみこころにかなうことであり、むしろ私たちが喜ぶべきことであるからだということです。

1ペテ4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。

また、苦しみの中にあっても「主にあって喜びなさい」と言われているのは、苦しみを通してこそ気が付くことや学ぶこと
があるということであり、特に神がどのようなお方であるかを再認識する貴重な機会となることもあるということです。

詩篇119: 67 苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

さらに苦しみの中にあっても主にあって喜べるのは、神がその苦しみの中から必ず救い出してくださるという確信があ
るからであり、救い出された結果、神がおられること、神が求める者には答えてくださることを再確認できるからです。

1コリ10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

神は悩む者、苦しむ者、主に向かって叫ぶ者を必ず救い出し、そこから連れ出してくださるお方です。

イザヤ63:9 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。
詩篇34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。・・・:17 彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
詩篇107:6 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。(13、19節)、28 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

パウロが「いつも主にあって喜んでいなさい」と言っているのは、主がこのようにすばらしいお方なので、何があっても「いつも」信仰を働かせて、主を待ち望みつつ耐え忍びなさいということでもあるのです。

詩篇27:14 待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。
詩篇42:11 わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。(42:5,43:5)

2.すべての事について、感謝しなさい。
パウロはエペソの手紙の中でも1テサ5:18の「すべての事について、感謝しなさい」と同様の事を言っています。

エペソ5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

ここにも「いつでも」と「主イエス・キリストの名によって」ということばが添えられており、ピリピ4:4の「いつも」「主にあって」と同じように言われています。つまり感謝できないような状況の中でも、いつも、主が助けてくださり、万事を益としてくださるから、あなたは感謝していなさいということです。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

だれにでも思い煩いはあります。しかしそれを主にすべておゆだねして感謝していなさいということです。

ピリピ4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

大切なことはすでに言い尽くされています。それは、主に対する絶対的な信仰です。主が現にいますこと、私たちをこよなく愛しておられること、そして私たちに本当に良くしてくださることを少しも疑わないで信じていることです。そして、その信じていることの証として、心から主に感謝していることです。

ヘブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
コロサイ2:7 キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。

同じくコロサイ書の3章には私たちが神に感謝すべきことについて繰り返し語られています。

コロサイ3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

何よりも、私たちはこの世を終えた後に、天国に迎え入れられるという約束を頂いていることに感謝しましょう。

ヘブル12:28 こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。

3.絶えず祈りなさい
喜びも感謝もない生活が輝いているはずはありません。しかし、私たちから信仰を奪い、喜びと感謝を奪い、私たちに輝きのない暗い生活を送らせ、ついに永遠の暗闇に陥れようとしている悪い者がいます。それはこの世の君である悪魔です。この悪魔に対抗するための有力な武器の一つが祈りです。輝かしい生活は祈りによる勝利なしにはあり得ません。けれども祈りによって勝利するなら、私たちは感謝と喜びの生活を送ることが出来るのです。

エペソ6:14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

主に祈りながら、いつも喜んでいること、感謝していることが輝かしい生活の秘訣なのです。終わりに、何よりもまず、私たちは、恵みとあわれみによって主に救っていただいたことを、いつも喜んでおり、感謝していましょう。